旭日、出ずる国より  その志、東方に嗣ぐものあらんことを

筆者について

戦後50有余年、私たち日本人はどんな明日を望んで歩んで来たのか。今日、人心は混迷し社会は荒んだ様相を呈し、昨日までの価値観はガラガラと足下から崩れて行く、そして明日への歩みを進める方向すら見定められない。私たちはこんな国になろうとして歩んで来たのか?
 
敗戦という初めて体験する衝撃に日本人は打ちのめされた。虚無感と絶望の中から私たちは経済による復興という曙光を見いだし、わき目もふらずひたすらに働いて世界第2位の経済大国と呼ばれる奇跡の復興を遂げた。ただ、そんな成功を収めていながら一方では今日の様々な問題が引き起こされた。その問題を解決するに、再び経済成長だけというアプローチでことを解決することができるのか?

 経済だけに眼を向けそのほかの事は眼を瞑って来た、終戦当時既に成人していた人達も、とにかく戦前のことは考えない、もっと言えば自分たちの歩んだ歴史そのものを考え直そうともせず、「経済的豊かさの追求」を隠れ蓑にその他のことを置き去りにしてきた。
 その置き去りにしてきたことが何であったのか、今となってはそんなことを考える事すら意識にない人が増えているようだ。戦前を見直す、歴史を見直すと言うだけで「右翼・軍国主義者」というレッテルを貼り、自分は平和主義・民主主義と言って経済的豊かさの追求こそ唯一の幸福という価値観の中に逃げ込んでいる人が多い。

 ここに「孫文の再来を請う」という珠玉の論文がある。
 1850年代にフィリピンがスペインの植民地になった時、世界地図の上で非植民地として残ったのは、日本列島と朝鮮半島それに中国大陸だけであった。次は我々と危機に敏感に反応し明治維新を成就させたのは日本であるが、李氏朝鮮は鎖国政策を続け、大陸中国は香港を植民地として切り取られたのが19世紀の終わり頃の東アジア情勢であった。

 そんな時代に敢然と立ち上がり「アジアの連帯」によって欧米列強の帝国主義を跳ね返そうと叫んだのが孫文である。孫文は辛亥革命を成功させながらその後の混乱の中で病死した。その孫文の革命に早くから行動を共にし、中国の革命に殉じた日本人として山田良政、純三郎兄弟がいた。その山田兄弟の甥の佐藤慎一郎氏は昨年94歳で亡くなられるまで東京・荻窪で健在であった。
 
この論文の著者寶田時雄氏はその佐藤氏に師事し、その身近にあって孫文のこと、山田兄弟のこと、佐藤氏自身の戦前戦中の大陸での経験から得られて来た貴重な歴史的事実を学んできた。そしてこの論文は実体験に基づいた佐藤氏の語る言葉を一種の聞き書きのようにして書き上げられたものである。

 寶田氏は「無名有力」ということを日頃から実践し、青少年や地域のために尽くすことを行って来ていますが、この論文はそんな氏の清廉な心がそのまま薫り高い文章となってもいる。
                                           

                                                蜆の会 代表
                                                    大塚寿昭

                                         (元総務相大臣官房補佐官)
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by Ttakarada | 2007-10-30 15:16  

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