責は自らに問う


c0142134_18305039.jpg


 海峡に対峙する両雄の鎮まりを招くことであったはずの山田純三郎の行動は直前になって中止となる。アジアの安定が世界の平和を招来するであろう大事の直前での挫折は、佐藤慎一郎の悔しさにも増して山田の慚愧でもあった。
 たとえごく近い縁から生じた障害であっても超越した行動をとろうと思えば可能であった。且つ、押し通す力は山田にはある。

 しかし、山田の決断は瞬時にくだされた。それはたとえ成功したとしても山田の心中の秘奥に存在する至誠に恥じることであり、また自らに課した到達点である亡き孫文への許されぬ醜態でもあった。それは縁者の入国手続きから起こった。

「いま飛行場の入管で調べられています」
 調べられているのは縁者の在職する某商社の暗号文を所持していたためである。

「内容は…」
 報告する者も言いよどんだ

「実は…」
 山田は言葉を詰まらせる使いの者を直視して尋ねた。

「すべてを話してほしい」

「貿易商社が日本の本社と連絡用に作成した暗号文が見つかったのです」

「それがどんな問題なのだ」

「暗号文の内容が問題です。もし我が国で総統が亡くなった場合、中共が攻撃してきた場合、騒乱が起こった場合、などについて我が国駐在より日本本社に打電する暗号文です。しかもその紙片を口中に飲み込んだという情報もあります」

 大陸進攻を掲げ戒厳令を布く国情では諜報行為といっても変わりはない行動である。しかも日本の大手某商社の駐台責任者の行為である。
 商行為でも人情に第一義の信頼性を置く民情であり、国父、孫文のもと総統との革命家同志の間柄である山田の縁者を駐在責任者におく商社の魂胆は、物言わぬ重圧として交渉相手に浸透したはずだ。山田の矜持を理解しようとせず、商行為による財利獲得のみを目的とする海外の現地法人の姿は、混乱の過ぎ去らないアジアの商業覇道として頭をもたげてきた。

 商行為は物流とともに人情の潤いを添え、それぞれが暗黙の了解事項として成立させることが交易業務の円滑さを図るためには必要なことでもある。『賄賂』を称して『人情を贈る』といった民族習慣になっている場合でも、円滑化のための知恵は、財を得るための「才」を認め、高める効用にもなるだろう。

 『逢場作戯』(その場その時々で相手に合わせて演技する)や、詐術はここでは問うまい。あるいは厚黒学や貨殖伝の応用もあるだろう。しかし、大前提となることは行動圏の市場に対する最低限の掟の順守がなければならない。とくに外国交易を行う場合、当事国の歴史、民情、政治情勢に一定の理解と涵養がなければ単なる謀略利得の行為と化してしまうだろう。
 語学が堪能だ、人脈がある、といったことのみを商行為の有利性として海外に派遣する国内における責任者の欠落した観点は、アジアの歴史に繰り返される島国日本の致命的欠陥でもある。
 
商社としてはつねに行われていたことが発覚したともいえるが、まるで時を計ったかのように山田の行動を妨げたと同時に、表面の静けさとは反比例するかのように胸中の秘めていた純情な琴線に触れてしまったのである。

 山田とて三井の社員として上海で満州の石炭を売っていたことがある。その経験からして商売意識の許容する範囲の理解は深い。それゆえ逸脱した縁者の行為は、自らの責めとして恥じるとともに、軍の袖に隠れ満蒙、支那の利権の買収、収奪を企て、孫文の革命を終始疎んじた日本人そのものを顧みて無言の怒りと悲しみを覚えたのだ。

 如何なる民族といえども色、食、財の欲望を満たすための究極の手段である戦闘行為を除いては民族特有の商風を醸し出してはいる。駆け引きや情報収集と称する諜報、謀略も当然あるだろう。

 なかには相手を利敵の対象としてみる一団もあれば、財利の循環を前提とした同種同業の育成や活用を商い気質として、天地の空間でダイナミックに存在し、滅亡することのない悠久の歴史の中に存在している民族もある。
 山田は「商」の分際を認識し、ときに自身(商人)の存在を直視し、その存在を感謝しつつ、しかも交易を臨機の潤いにしなければ、商が万物の用を成すという存在意義から逸脱し、害や罪に化してしまうことを歴史の検証として理解している。

 貿易商人の堕落は、アジアの大志を抱いて孫文と共に苦闘した継承すべき辛亥革命の精神的変質でもあり、人間の劣化という観点でみた山田の憂いと言い知れぬ寂しさは、自らの途を断ち、辞して発芽の来復を待つといった境地に、自らを追い込むものであった。

それは当時の日本及び日本人としての無条件の行為に根底にある貪りを自己で規制する という、覚悟に似た矜持であった。それは革命成功の成否より優先されるべきという山田の兄である良政の遺訓でもあり、異民族の中にあって慎重に留意しなければならない普遍的意思の行動具現でもあった。
________________________________________
[PR]

by Ttakarada | 2007-11-02 18:32  

<< 亜細亜的大人 孫文 幻の毛沢東、蒋介石会談 >>