砂的民衆の潤い

 ◆すべて自らに同化させてしまう中国の民
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左端 北一輝  右端 陳基美

 山田は支那の民衆についてこう語っている。
 このような民族だ。握ってもこぼれる。強く握れば握るほど指の間から落ちてしまう。風に乗りどこへでも飛んで行く。だが、潤いがあれば両手に盛ることができる。

 佐藤も民衆の中で得た体験をとおして同様な意味を語っている。
 食、色、財の本性にしたがって天地自然に順応している。例え人肉を食そうが、財によって押し潰されようが、男女快楽の技巧が極まろうが、突き当たることはない。天地の循環の理(ことわり)に添って生きている。
 それはまるで悠久の流れの水の性質に似て、清濁を問わず、方円の形式にとらわれず、しかも人情という潤いの一滴を感知できる包容力をもち、あるときは権力の船を大河という民衆に浮かべ、ときには激流となりいとも容易に転覆させることもできる力をもっている。支配者が変わろうが決して滅びる民族ではない。そしてなによりも人情の意味を知っている。

 しかし、と続く
 この特性は柔軟でしかも粘り強い。どんな外来の侵入者が来ようが、すべて自らに同化させてしまう。とても弱いが力の真理を知っている。
 ジンギスカン率いた元もない、清朝も消えた。
 満州の長老が言っていた。「はやく日本は負けて帰った方がいい。そうしないと日本そのものが無くなってしまう」(新京の魔窟 大観園の親分)
 覇道を抱き、王道を謳って異民族の中を闊歩した四角四面の日本人はどのように映ったのだろうか。

 ◆ただ姓が易わっただけだ  

日本の敗戦が決まった日の朝、城内には青天白日旗が翻っていた。聞いてみると五つの旗を常に用意していたという。日の丸、満州国旗、五星国旗、ソ連国旗、そして青天白日旗。見ると青天白日旗がいちばん高価な布で作ってあった。
 なぜかと聞いてみると
 『張学良になったとき、少しは長く続くだろうと丈夫な生地で作った』と、胸には国民党のバッチがついていた。昨日まで日満一徳万歳を唱えていた民衆とは思えなかった。 
 『ただ姓が易わっただけだ。自分たちの生活は今まで通りだょ』と、まるで淡々と時を楽しんでいるかのようであった。
 土壇場においてもこの様相である。

 それに比べ日本人の打ちひしがれ、惨憺たる様子は、民族の違いとはいえ器の大きさを見せつけられるものだ。
 開拓民を取り残し電話線まで切断して我先に逃げ出す高級軍人、高級官僚。日本人婦女子を騙して集め、集団で売り飛ばす日本人会々長。

 帰国を急ぐ日本人を、さも当然のごとく助ける中国人たち。なかには日本人救護にと馬車百両に食料を満載して届けた中国人もいる。
 その後、この人は敵国を助けた罪で銃殺されたという。危ないから逃げなさいと米国に促されたが、この老大人はこう言ってその地から離れようとしなかった。
「私は人間として当然なことをしたまでだ。困っている人に民族の別はない。お互いさまだ。悪いことをしたのではない。目の前で苦しんでいる人間を無条件で助けたのだ。私は大丈夫だ」

 佐藤は涙ながらに回顧する。
 名を名乗るわけでもなく、名利を得たいがために行ったものでもない。命がけで助けたのだ。
 しかも、拘束された後も堂々とした大人の風格を漂わせていたという。無条件の貢献を生んだ大人(たいじん)の心には、日本の官吏、軍人民間人を問わず、誠の心をもった真の日本人との交流の思い出が脳裏をよぎったに違いない。
 国家民族を超越した人と人との交流の姿を自らの命に賭けて教えてくれた。
 語り継がれる数々の義行だが、どのように継承するかが大切だ。
 生活のためと目先の利益や名誉に、ついつい翻弄される現代人の鑑となれば大人も本望だ。 名を残し顕彰することだけでは大人の徳業には馴染まない。

 それよりも、それぞれ現代に生きるものが大陸の地に建設した満州国という国家存在の史実を認め、功罪の有無を問うこととは別に、平時なら居留民を守る立場にある軍人、官僚に見捨てられ、打ちひしがれて日本に帰還する土壇場の状況を想定して己の人生と心に問いかけながら将来に行動することだ。
 日本の有史以来はじめての体験だったが、土壇場における日本人の姿として忘れてはならないことだ。
 大人の名は確か、王荊山さんという人だ。



王荊山 遺子と孫
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by Ttakarada | 2007-11-05 13:54  

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