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秘録 孫文から犬養に宛てた手紙

大同」を求めて
(日本外交への啓示)

原文訳.佐藤慎一郎先生 63.4.21 寄稿 
構成 郷学研修会

孫文から犬養毅に宛てた手紙
(大正12年、この手紙は、山田純三郎が、犬養家へ持参したもの)

山田はこの原文写しを佐藤に託すときこう言っている
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『私が孫さんを訪ねて犬養さんが入閣したことを知らせた。亡命中には頭山さんや犬養さんに援けられ、その無条件な援助にみた日本人と一緒にアジアの共通な意志を成し、そして遂げるには、まず日本人が先頭に立って抑圧されたアジアの人民の代弁者になって欲しいということだ。

またその精神もった信頼する日本人が多くいることを知っていたし期待も懸けていた。これはシナ一国でなくアジアのために日本は絶好の機会を逃しているという痛切な意思を犬養さんに託したものだ。三日三晩寝ずに考え、慶玲(妻)さんが何度も書き直したものだ。孫さんが終生日本に期待を懸けていた心が痛いほど滲み出ている。

 革命は後になって評価は色々出てくるが、これが事実だ。それがあっての革命だ。なにも好き好ん赤露に向かったんではない。日本が余りにも理解無く、追いやったのだ。これは孫さんの意志、いやアジアの意志として日本が指導的立場にならなくては、日本そのものが危うくなるという憂慮を犬養さんに伝えているんだ・・・

この手紙を託されたとき、孫さんは日本および日本人にアジアの将来を託したんだ
「山田君!宜しく頼むよ」と、今までに無い強い口調だった』

http://greendoor2.exblog.jp/




【本文】
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  木堂(犬養の号)先生、 山田君(訳注、山田純三郎)が来ての話では、先生がこの度入閣されたことは、私たちが達成することのできなかった願望を助成し、それによって東亜百年の問題を解決することに、非常に役立つことでしょうと、言っています。
これを聞いて、狂喜しました。

 早く書信をしたためて、色々と御相談申し上げたいと思っていたのでしたが、広東の軍事がまだ解決しないので、それを果すことが、できませんでした。
現在、曹錕が位を盗んだため、国を挙げて憤慨しており、西南では、すでにその罪状を宣言して討伐しており、四川、湖南、広東三省の軍隊および雲南、広西の同志各軍を大挙して北伐させ、同時に張作霖、段祺瑞、慮永祥と連絡して協力合作して国賊を破ろうとしています。
 
ただし、曹錕が敢えて天下の奇忌誹を犯してまで公然と位を奪っているのは、それより先に、強国があって、その後盾をしている者が居ればこそ、そのように、するようになったものであると思われます。
 
考えて見ますと、列強の伝統的政策としては、中国が治まって強くなることを厭わないため、しばしば革命に反対する挙に出ているのです。

この度のわれわれの行動も、列強のさまざまな阻害を受くることは、疑いの無いところでしょう。
 貴国の対支行動も、従来は専ら列強の鼻息を仰いで、中国及びアジア洲の各民
族を失望させていることは、非常な失策でありました。

この度先生が入閣されましたので、必ずや列強追随の政策をやめ、新な旗印を樹ててアジア洲の各民族が渇望している気持ちを慰めて頂けることだろうと思います。


訳注、以下の『』内の文章は、犬養さんに出した本文にはないが、 孫文が書いた原文には、有る文章である。参考のために訳しておく。

 『もし、そのようになるならば、日本はその増加する人口を容れる拓殖の地が無いということなどは、心配する必要などないでしょう。

 私は、南洋の島々および南アジアの各国では、必ずや日本をその救い主として歓迎するようになるだろう事を知っています。ネパールとブータンニ国が英国の統治を受けること、百有余年になりますが、依然として中国に対して、藩と称して貢物を送っている事を御覧下さい。これは民族の同じ人情というものは、政治的な勢力よりも強いものだという事を意味しているのです』

 もし日本がアジア民族を扶けることを志として、武力的な欧洲帝国主義の動きに追随することを止めるならば、アジア民族は、日本を敬慕し、崇敬しないということは、ないでしょう。

 欧洲大戦以来(19 14~18)、世界の大勢は、すでにその為めに一変しました。
強盛な英国、カナダの如きは、戦勝の餘威をもってしても、なお譲歩してアイルランドの自由を許し、エジプトの独立を許し、印度の開放を容れざるを得ませんでした。

その理由とは、何でしょう。それはつまり、欧洲大戦後に一種の新しい世界的勢力が発生したからです。この勢力は何であるかと言えば、それは虐げられた一部の人類が、みな大いに目醒め、方々で起ち上って強権に対して抵抗していることを言うのです。

 このような人類は、アジアに一番多いのです。したがって、アジア民族もまたこの世界の潮流を感知して、必ず起ち上って、欧洲の強権に抵抗することでしょう。今日のトルコは、その先導である。ペルシャ、アフガニスタンは、その後継者であり、更にそれに続くものは、印度、マラヤでしょう。

 このほか更に最も大きく、最も重要で、列強の競争に関すること最も撒しいのは、支那四億の人々です。だから、列強の中には、その初めには、之を独占しようとした者が有ったのでしたが、他の強国に阻まれて、ついには支那分割を謀る者が現われるようになったのです。図らずも、たまたま日本が東亜の海の果てで起ち上ったため、その分割の謀も遂行することが、できませんでした。

 この時には、支那四億の人々とアジア各民族は、日本をアジアの救い主であると見なさない者は、無かったのです。秘録 孫文から犬養に宛てた手紙_c0142134_22273966.jpg

 思いがけなくも、日本には遠大な志と高尚な政策がなく、ただ武力的な欧洲の侵掠的手段を知るだけで、遂には朝鮮を併呑する挙に出て、アジア全域の人心を失うようになったのは、誠に惜しむべきことであります。

 古人は「その心を得る者は、その民を得、その民を得る者は、その国を得る」
と言っています。

もし日本がロシアに戦勝した後、よくこの古人の言葉を教訓としていたならば、今日のアジア各国は、みな日本を頼りとしたはずです。英国は今日、アイルランドに自由を許し、エジプトに独立を許しているのは、つまり、そのような意味があるのです。

 もし日本が翻然として悟り、英国がアイルランドを遇したように、朝鮮を遇して、その失敗を補う方策をとったならば、アジアの人心は、なお収拾することができるでしょうが、さもなければ、アジアの人心は、必らずや、みな赤露に向って行くことでしょう。これは断じて、日本の幸福ではありません。
 
あの赤露というのは、欧洲の虐げられている人民の救い主であり、しかも強権者にとっての大敵であります。それで列強の政府は出兵してロシアを攻撃しているのですが、各国の人民はその政府に反攻しているのです。それで英仏米などの国々は、みな、その人民の内こう(言へんに工)のために、ロシア討伐の兵を撤収せざるをえなくなったのです。

 今日アジアの人民が圧制を受けていることは、欧洲の人民に比べて、もっと酷いのです。
それでその救いを望んでいることもまた、一層切実なのです。アジアには弱い者を救い、傾いている者を扶けようと、義によって言論を主張する国はないのです。
だからして、赤露に望みをかけざるを得ないのです。

 ペルシャ、トルコ(注、原稿では、アフガニスタンとなっているが、犬養宛には、トルコとなっている)は、すでにその望みを達成しました。支那、印度も、これに頼ろうとしています。
 
私は、日本がよくよく考えて、之に善処し、幸いにも重ね重ねの誤りを繰り返さぬよう深く望むものであります。

 そもそも欧洲戦争の初めにあたって、日本は小さい信義を盲信して、遠大な計画には暗く、遂に一躍して世界の盟主となる機会を失い、世界に再び戦争をする禍根を残しました。日本の志士たちの中には、今に至って回顧して、なお痛恨嘆息している者がおるのです。

 先生は、或はまだ霊南坂での半日の談話を思い起して頂けることでしょう。
先生は、昔、その志を行うことができないというので、大隈内閣に入閣することを拒まれました。 ところが今回、先生はついに入閣されました。それは多分、その志を行うことができると思われたからでしょう。だから先生のために長々と、お話申し上げ、深くつっこんでお話申し上げることを禁じえなかったのです。

 そもそも将来の世界戦争は、言う者の多くは、必ず黄色人種と白色人種との戦争であるとか、あるいは欧洲とアジアとの戦争であるとか言っていますが、私は敢えて、それは違う。それは必ず公理(訳注、多数の人々に公認される正しい道理)と強権との戦争であろうと断ずるものです。
 
しかも強権を排斥するものは、もとよりアジアの虐げられている人民が多いのですが、欧洲の虐げられている人民もまた少くはないのです。だから虐げられている人民は、まさに虐げられている人民と連合して、横暴な者を排除すべきです。 

ところで欧洲ではソ連だけが虐げられている者の中堅であり、英仏は横暴者の主流ですが、アジアでは、インド、中国が虐げられている者の中堅です。そして横暴者の主流も同じく英仏です。米国は横暴者の同盟か、あるいは中立ですが、被抑圧者の友人でないことだけは、断言できます。

(訳注、犬養に出す前の孫文の草稿では、次のようになっている。
『このようにすると欧洲に於ては、ロシア、ドイツが虐げられている者の中堅であり、英仏及び米国は、或は横暴者の主流ということになりましょう。アジアに於ては、印度、支那が虐げられている者の中堅で、横暴者の主流はまた同じく英仏及び米国であり、或は横暴者の同盟者となるか、或は中立の立場をとって、必ずしも虐げられている者の友人とはならないことは、断言することができます。』)

 ただ日本は、まだ未知数の立場にあり、虐げられている者の友となるか、それとも虐げられている者の敵となるかは、私は先生の志が山本内閣に於て行うことができるか否かによって、定まることと思います。

 もし先生が、その志を行うことが、できるならば、日本は必ず被抑圧者の友となることでしょう。もしそうなれば将来の世界の大戦争に対して、準備しなければなりません。では、準備の道は如何ということを、先生のために、之を述べさせて頂きます。

《 その一》、

日本政府は、この際、毅然決然として、支那革命の成功を助けて、対内的には統一できるようにし、対外的には独立することができるようにし、一挙にして列強の束縛を打破させるべきです。これによってこそ、日支親善は期待すべく、東亜の平和は永く保てるのです。
 さもなければ列強は、必ずや色々の手段を施して、支那を以て日本を制し、必ず日支親善は永久に期待することが、できないようにさせ、しかしかも日本経済は、必ずや再び発展することが難しくなることでしょう。

 欧洲列強は、大戦以来すでにその帝国主義を東亜に推行する実力はなくなりました。然しながらその経済基盤が支那にあるものは、すでに非常に強固なものとなっています。それでその最も心配なことは、吾が党の革命の成功は、彼らに不利をもたらすことを恐れていることです。
 
列強の深謀遠慮は実に日本を目標にしており(注、原稿、つまり、犬養に出す
前の孫文の草稿では、『列強の深謀遠慮は、まことに日本よりも上手であります』
となっている)、だから常に色々な名目を作り出して、日本が彼らと一致した行動をとって、支那に対せざるを得ないように、させているのです。

日本の支那における関係は、その利害は、まさしく列強とは相反していることを知らないのです。
凡そ対支政策で列強に有利なものは、必ず日本に害があるのです。

ところが、日本が事ごとに、みな列強の主張に従わざるを得ないのは、当初は、孤立していて、しかも力が敵対することができないので、いささかも敢て頭角をあらわして、列強と対抗して譲らないという態度は、とれなかったのですが、それが習慣となって、あたかも当り前の事だと思うようになったのです。

 今や時が移り、情勢がかわったのに、なお計画を変えることを知らないばかりか、一層酷くなっており、事ごとに列強の相棒をかついでおります。支那の志士たちが、日本を痛恨すること、列強に対するよりも、ひどいのは、そうゆう理由なのです。

 今回幸いにして先生が入閣なされました。必ずや日本の過去の失策と列強に盲従する主張を一掃し、之を清算されるに違いありませんが、その最も重要なことは、支那の革命事業に対することです。支那の革命は、欧洲列強の最も嫌うところです。

思うに支那革命が一旦成功すれば、ベトナム、ビルマ、ネパール、ブータンなどの国々、インド、アフガニスタン、アラブ、マラヤなどの民族が必ず中国の後に続き、欧洲を離れて独立するからです

(訳注、孫文の草稿では『思うに支那革命が一旦成功すれば、ベトナム、ビルマ、ネパール、ブータン等の諸国は必ずや、もとのように中国の藩屏として附属することを願うことでしょう。しかも印度、アフガニスタン、アラブ、マラヤなどの諸民族は、必ず支那の後塵を歩み、欧洲を離れて独立するようになるでしょう』)

 このようなことになると、欧洲の帝国主義と経済侵略は、必ず失敗するように、なるでしょう。だから支那革命は、実に欧洲帝国主義にとっては、死刑宣告の前ぶれであります。したがって列強政府が、支那革命に反対するのに、あらゆる方法を用いる所以のものは、ここに在るのです。

 ところが日本政府は、この事を察することなく、之に引きづられて、反対しているのは、自殺と何ら異なるところがないのです。
 もともと日本の明治維新は、実に支那革命の前因であり、支那革命は実に日本の明治維新の後果であり、この二者は、もともと一貫したものなのです。それによって東亜の復興を図ったならば、その利害は相同しことなのです。その密接なことは、もともと、そのような状態にあるのです。

 日本はどうして、中国革命に対して、欧洲の武力主義をとり、わが国を嫌い、わが国を害するのでしょう。
(訳注、孫文の草稿では、『日本は、どうして、欧洲に追随し、わが国を嫌い、わが国を害するのでしょう』)

日本の国家万年、有道の長期の基本計画のために、もし支那に革命の発生がなかったならば、日本は提唱して、これを誘導すべきであることは、ロシアが今日ペルシャ、印度に対しているようなものです。
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先生が昔、宮崎(泗天)に命じて、わが党と連絡させたものと、まさにそれでありましょう。支那革命がすでに発動したのですから、日本はその全国の力を傾けて之を助成し、それによって支那を救い、自らをも救うべきことなのです。それはあだかも、百年前、英国がスペイン(訳注、孫文の草稿ではイスパニアとなっている)を助け、また近くは米国がパナマを助けたようなものです。 それなのに、日本政府は、支那革命に対してこの十二年来、すべて反対行動に出で、反対が失敗すれば、中立を守っているのだと偽装して自らを飾りたてています。

 従来、徹底的に白覚して、毅然決然として、支那革命を助け、日本を東亜に立国するものとして雄図を計ったことは、未だかってあったことはありません。これはすべて先生が従来政府に志を得なかったからのことでした。

いま先生は、自ら政府の一員となりました。私は切望、深望せざるを得ないのです。これは独り支那のための計略なのではなくして、日本のための計略でもあるのです。

 
《その二》

日本は真先にロシア政府を承認し、ただちに之を実行すべきです。絶対に、列強と一戦した歩調をとっては、いけません。
 列強が、ロシア政府を承認しないのは、利害が衝突しているからです。フランスは、国債の償還がないから、ロシア政府が、これを負担して、返済すれば、承認すると要求しています。英国は、インド問題が解決されないので、必ずロシア政府に、その領土を保証させようとしているのです。それは、あたかも最後の日英同盟のようなもので、そのあとで、之を承認しようとしているのです。米国も債権関係、つまりフランスの債権の多くは米国に転嫁されています。ロシアは、国債負担を廃除しています。米国も大いに損失を受けているのです。それで、英仏と一致した行動をとっているのです。

 顧みれば、日本はどうでしょう。このような状態なのに、なおも競って列強と一致した歩調をとるのは、その愚かさには、まことに、どうにもならぬものがあります。
 欧洲の諸々の小国は、どうでしょうロシアと関係のないものは、やはり、英仏と行動を同じくするものはあるが、ロシアと関係のあるものは、ことごとく、まずロシアを承認しています。

しかも日本とロシアとは、固より最大の関係があるのです。初めは誤って列強と一致した行動をとって、出兵しましたが、後には、自覚して単独でロシア代表と数回の会議を開いたのでしたが、思いがけなくも、承認問題では、なおも各国と同一行動をとり、感情的には融和することができなくなり、ついには色々な話し合いのさまたげとなり、満足な結果を得ることができなかったのは、まことに惜しいことでした。

 日本とロシアは、すでに密切な隣国関係があるのだし、そしてまた列強のように、権利の損失はないのです。ところが対露外交がなお敢えて列強の範囲を抜け切れないのは、これは欧洲の一小国と比べてみても、及ばないのです。

 どうして日本には人物がおらずして、このような状態にまで、たち至ったのでしょう。

 或は、日本の立国の根本は、ソビエト主義とは同じでない。だから敢えて承認することは、できないのだと言いますが、これは真に見識の狭い議論です。そもそもソビエト主義なるものは、つまり孔子のいわゆる「大同」なのです。

 孔子は
 「大いなる道が行われていた頃には、天下を公となし、私するようなことは、なかった。

賢い者を選び、有能な人を用い、人々は互いに信じあい、親しみあっていた。

自分の親だけを親としたり、自分の子だけを子として区別するようなことは、なかった。

老人は安らかに生涯を終えることができ、若者には十分活動する場所があった。幼い者はすくすくと成長することができたし、老いて妻なく、また夫のない者も、幼い時から父がなかったり、年老いて子のない者も、不具廃疾の者も、みなそれぞれに生活していくことができた。
 
男には、分に応じた職業はあるし、女にはいずれも配偶者があった。財貨は地に棄てられて粗末にするようなことはしないが、必ずしも自分のためにだけ力を用いるような事もなかった。力を十分に出せないことは申訳ないが、必ずしも自分のためだけ力を用いるような事もなかった。

 したがって、策謀する必要もなければ、泥棒や乱賊などの横行する余地もなかった。だからして表通りの戸閉りをしておく必要とてなかった。このような社会を大同という。」
 と言っています。

 ロシア立国の主義は、これほどのものでしかないのです。なんで怖るべきことが、ありましょう。まして日本は孔子を尊んでいる国です。これに対して、まず歓迎の意を表して、列国を導いてやってこそ、始めて東方文明国たる資格を失わないのです。もし列強が承認してから、その後で日本が始めて之に追随して承認しなくては、ならぬようになったならば、親善の良機はすでに失われてしまうことになるでしょう。これはいわゆる

  「渕の為めに魚を駆いやり、草むらの中に雀を追いやる」(訳注、孟子の言葉)
 ようなものです。

 日本を排斥しようとする強国が、ロシアをそのさきがけとして利用することになれば、独り日本が危いだけでなく、東亜もまた、それにつれて平和な日が無いようになるでしょう。そうなれば、公理と強権との戦いは、もしかしたら、ついには日本では、黄色人種と白色人種との戦争と変化するように、なるかも知れないのです。

 是非とも知っておかなくては、ならないことは、欧洲大戦後は世界の大勢は一変したばかりでなしに、人心の思想もまたその為めに一変したのです。日本の外交方針も必らずこれに順応して改変してこそ、はじめて世界に於ける地位をよく保存することができるでしょう。さもなければ、必ずドイツの仕損じたことを、また踏むことになるでしょう。

 試みにごらん下さい。ホノルルの軍事配置、シンガポールの設備を。これらは、誰を目標としているのでしょうか。
 事態はすでに此処まで来ているのです。日本がなおもロシアを興国としないならば、ゆくゆくは必ず水陸両面の央撃を受けるだけでしょう。英米の海軍は、すでに日本より強いこと数倍です。しかもロシアの陸軍は今日に於いては、実に天下に冠たりということを、知らないわけには、いかないのです。

 孤立している日本が、海陸の強い隣国に当ったとして、どうしてよく僥幸を期待することが、できるでしょうか。だから親露は、日本自存の一つの道なのです。

 以上二つの策は、実に日本が国威を発揚し、世界を左右する遠大な計画であリ、興廃存亡のかかわるところなのです。これは日本が欧洲大戦の初め、すでにその赴く所を誤り、世界の盟主となる良機を失ったのです。一度誤っているのに、何うして二度も誤ることが許されるでしょうか。

 ただ先生が詳細にお考え下さってヽ速やかに対処されるようお願い申しあげるのみ
です。                                
         
民国十二年十一月十六日   広州にて
          (訳注、大正十二年)




武力を背景にした当時の日本と、財貨を背景にした現在の日本。東洋の一員として、世界の強国として日本の経国に重大なる警鐘を鳴らしているかのような孫文の一声は、私達、次代を継ぐ者に、゛人物とは゛゛国とは゛゛外交とは゛を痛切に啓示するものです。(筆者考)

# by Ttakarada | 2008-02-05 22:32

 

あとがき

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「研究、分析は学者に聞け。作り話は小説家に任せ、今、残すべきことは関係者の体験をたずねて可能な限り継承することだ。しかも孫文にかかわった日本人は少なくなっている。皆、年をとったため体験した年月は明確ではないかも知れない。しかし、年寄りの思い出話というものは功利的な世の中では真剣に聞く人もなければ、感動と感激を得る根本価値も今はない」


「神棚の御本尊ではないが普段は必要のないものだが、せいぜい正月か、困ったときのお願い事のようなもので、普段はほこりだらけ。だが請われればいつでもいやな顔をせずに舞い降りてくるものだ。年寄りの思い出話とはそのようなものだが、尋ねるものがいる限り口舌の乾くことも忘れて話し続ける楽しみもある」
 

筆者の周辺にはこんな先輩が大勢いる。
 20代に縁があって満州関係のご老人の会に招かれた。皆さん60代後半から80代の矍鑠(かくしゃく)たる個性ある30名ほどの方の集まりだった。戦後教育では教えられることのなかったような、さまざまな体験が披露された。
 通称高級軍人、高級官僚、満州鉄道関係者、あるいは開拓民として移住した方々が激論を戦わす。そんな中で戦後生まれは筆者一人である。ところが言い争っているような妙な雰囲気があるのに気が付いた。

 たしかに植民地官僚と敗軍の将。それら組織とつねに軋轢を起こしていた満鉄関係者や民間人ならば当然ことのようだが、とにかく元気がいい。満州はおろか日中近代史の裏面にも話題が及び、平成の御代に歴史の謎とさえいわれていることが当事者の口から弾むように飛び出す。

 筆者自身、生まれる以前の歴史の臨場感をいやおうなしに味わわされた。そして若年ではあるが、過世代の存在と意義をおぼろげながら感じたものです。
 会の名称は「笠木会」といって、満州建国の精神的支柱だった笠木良明を偲ぶ会ではあるが、満州では対立関係でもあったさまざまな方の呉越同舟の趣があった。世間では戦後政界の黒幕、代議士、一流企業人、大学教授、歴史研究家など、当時日本を動かしている満州人脈というべき顔触れである。

 言い争っているさなかに一息入れるつもりなのか、はたまた「おまえはどう考えるか」などと話を振られることがある。筆者にとっては偉いも偉くもない。いわんや満州などという言葉は知っているが細目は知らず。ただ世間でいうところの大ボス、小ボスとは違うことは理解できる。
 笠木の遺影の前で、当時と同じ激論を戦わしている弟子の集まりである。一般社会とは違って、普段、言葉に出したい意見があっても"唇寒い"などと遠慮することもなく、根本さえ外さなければ何でも通ってしまう。その根本は地位、名誉、財力、学歴といったことに「卑しさ」を持たないことであることは同感であるし、「公」と「私」のわきまえさえ明確なら「長幼の序」は後回しになるようなおもいがある。

 何を発言したのかは思い出せないが、毎回お鉢が回ってくる。すると激論がなかったかのように老教授が
「われわれはこの若い世代に何を遺すのか。一番よい方法は年寄りは早く死ぬことである」
 一瞬、場が白けるが、笑う人、うなづく人、「そのとおり」と声を上げる人、さまざまではあるが怒る人、嘲笑する人は一人もいない。
 平均年齢を下げていると冗談を言っている筆者だが、議論や受容の柔軟さは筆者も舌を巻いた。

 笠木良明のエピソードの中でこんな話があった。大川周明、北一輝らのある会に呼ばれたとき黙って聞いていた笠木は
 「おれはポチではない」といって席を蹴った。
 ポチとは愛玩犬のことであり、あまり吠えないおとなしい犬のことである。
 また、滝に打たれ修行することを例えて
 「滝に打たれて人間ができるなら、始終、滝壺に打たれている鯉のほうがもっと立派だ」

 そんな笠木を懐かしむ人々の集まりであるが、いやおうなしに満州や大陸、そこに住む民族や歴史、日本とのかかわりが老先輩の雰囲気と相まって興味をそそられたわけです。縁は自らが望んで得られるものもあるが、いつのまにかその世界に入り込み感動や感激をとおして自分の役割を自覚し、なにがしかの成果を得て悦に入ったり、あるいは挫折して縁を恨んだりすることもある。
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 またそれを総括して"縁は不思議なもの"とか"運命"や、はたまた"宿命"などと思い込んで己の人生を限定したり、あきらめたりすることが多いようだ。そのようなとき明治の先輩は筆者にこう言い切った。
「縁は己の宿命に訪れるものではない。宿命を自他の尊厳の中に見いだすとき感謝になり、その命に報いるということが分かれば本当に"宿った命"を知ることになる。
しかしそれから先は自身のためにも、あるいは自身の存在を社会の中で明らかにするとして利他に役立つ存在となるように心掛ける"立命"になる。利己的な欲望に埋没していると宿命や自己そのものに怨嗟の気持ちが起きるものだ。まさに自己の崩壊や確立の前提は、"自分は何物か"ということの追求の単なる結果に過ぎないものだ」


 また文章についてもこう述べている。
 「うまい、へた、ということは技術の問題だ。分かりやすいということはその人に合っているということだ。継承すべき人間の事象を著すには流行(はやり)に迎合するものであってはならない。いつの世でも感激感動を通じて触発され、君と同様な志操をもって至誠の循環は訪れる。人間を学び歴史に思いをいたすとき、そのことは将来の確信として心に宿るものだ。俗世の評価や人格となんら関係のない付属性価値の評価を恐れてはいけない。ただ君の至誠に恥じることがなければ世界は動くはずだ」

 初対面の老人であった。茶菓子を口元に運ぶしぐさが妙にゆっくりと感じられる。お互いに年はいくつなのか、何をしているのか分からないまま長時間を費やしていた。明治に共通していることだが、玄関先から道路の角まで見送る優しさは、一期一会になるかもしれない自己への緊張と厳しい生きざまの姿がある。

 道すがら同行した老人に「あの方は…」と尋ねると、「安岡先生だ」。
 続けてこう述べた。
 「今日の印象そのままでいい。あとはおいおい分かる。ただ歳は君のほうが若い。しかし頭はかなわんよ。ワハハ」  こんなことを試されたことがある。数寄屋橋街頭で演説している赤尾敏氏の意見を伺うために大塚の道場を訪問した折り、不遜にも長時間にわたり抗論したことがある。
「演説の最後に天皇陛下万歳を三唱しますが…」

「別に天皇個人の健康や個人的もろもろのことを願っているのではない。日本万歳、日の丸万歳と唱えてもいいのだが、ともかく日本の象徴であり、その意味で日本全体の安寧を願って"天皇陛下万歳"と唱えている」

「ロッキード事件のときにアメリカに行ったそうですが」

「総理といえば一応、政治上の代表者だ。それが車のケツとケツをつけて金の受け渡しなど日本人として恥ずかしいことだ。そこで市川房枝と一緒にアメリカにいった。アメリカではアパッチとババアが来たと話題になった」
>「安岡先生とは…」
 一瞬真剣な顔をして筆者を凝視した。
「安岡か。あれは行動力が無い。考えてもみなさい。日蓮、マホメット、キリストは命を懸けて時の権力に諌言したんだ。日蓮は火あぶり。キリストは、はりつけだ。いまの日本ではそんなことはないがだれも言い切らん。安岡も同様だ」

「安岡先生は、暴力は一過性だ。だから自分は長い目で見た国家の岐路に役立つ人材の育成に、生涯を懸けるのだとおっしゃっていますが」

「ことは勇気の問題だ。君は分かっているのか」

「確かにその辺の陣笠代議士や商売人が"安岡先生の謦咳に接した"とまるでマスコットが説いた言辞を、意味も分からずチャツカリ寸借しているものや、ひどいのになると安岡ブランドで飯を食べているものもいる。たしかに弟子と称しているものの中には固陋な考えをもつものもいる、地位や名誉に卑しいものもいるが自分は違う。先生の説いたものをいかに活用するのも人間の問題です。」  

どれくらい抗弁しただろうか。安岡家に連れていってくれた老人に促されて訪問した赤尾氏の道場だが、その老人は黙ってその様子を眺めている。
 老人がいうには
「赤尾氏は真っ赤な顔をして乗り出し、君は真っ青な顔をして引かない。まるで浮世離れした鬼ごっこのようだった」

 突然、赤尾氏は好々爺のように顔を崩して、
「分かった。君も若い。君の思う通りに進んでみたらいい」
 好々爺赤尾はもう一つの明治をおもしろい話として伝えた。
「このあいだ細川隆元が"赤尾先生、先生が亡くなったら数寄屋橋に銅像が建ちますよ"言論貴族のあいつらしいひやかしだが、こう返しておいた。"死んだら銅像などといわずに、君の出ている番組で赤尾の言い分を正しく伝えたらどうだ"と言ったら黙っていた。いちど市川房江とテレビで話してみたら皆、びっくりするだろう」

 一般には赤尾氏自身がいうとおり容姿は怖い、言論は辛辣な赤尾氏だが、四十数年数寄屋橋の同じ場所で唱える弁舌は一服の清風として聞き取れるようになったのはそれからのことである。
安岡先生の没後、自宅に伺ったおり奥様から
「よく笹川(良一)さんがジョギング途中立ち寄ってメロンを食べていきました。それと赤尾敏さんもよくいらっしゃっていました」  

何もいうことはなし。いまさらなにをいいたくても冥土に招かれるまでの辛抱だ。筆者を言論によって、これでもかと追い込んで試そうとする明治気質の真剣さは、明治の日本人を追い求めるものにさわやかな教訓として優しく示してくれる。明治には自分たちが失った何かがある。
"今のうちに明治に会ってみなさい、雰囲気でもよい、触れてみなさい"と、人に会うたびに勧めるようになったのもこのころからである。
 

日本はアジアの一部分  アジアは世界の一部分


今どき、職分が異なる近代日中史に興味を持ち、しかも明治人の活躍した歴史や人物に添って日本人を知ろうとすることなど、今までの筆者の世界からすればまさに"病気"そのものである。なかには仕事でもなければ、金にもならないことを費やしているなどと身近な言葉に躊躇することもあるが、いつか役に立つことがあるだろうと人生の刻を積んでいる。

 そのなかでも中国人、しかも庶民の立場から見た歴史をたどると、筆者なりに孫文と日本に行き着くのである。老先輩の話に興味を引かれると台湾へ飛んで西安事変の生き証人を尋ね、老婦人には妻の見た革命や夫の人柄を伺い、「先生(夫のことをこう呼ぶ)は自分を捜し続けて一生忙しく動いていました」と、自ら語りだした。
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 青年が民主化を唱え、「官倒」を掲げて天安門を占拠したと知れば言葉を解さないことも忘れ戒厳令下に身を置いたこともあった。英国植民地、香港の事業にも試行した。

 辛亥革命に挺身した日本人がいると教えられれば、出生地の育んだ環境に身を浸して歴史に思いをはせる。山田兄弟の生地である青森県弘前市も恒例になっている。
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歴史の必然を逆賭する 

植民地の解放、香港返還、アジアの復興、そして再度の人為的金融危機によるアジアの衰退。どうするか、どうなるかと、混迷しているアジアの人心は経済繁栄によって錯覚した功利主義に、自らの手によって陥れた結果である。

 近代アジアにおいてはつねに西洋の影響力の下、基盤のもろい繁栄と平和をコントロールされてきた。ときおりパートナーを替える国もあるが、つねに背景の意向をおもんぱかるために民生の安定や政権の信頼さえ得られないことがあった。それはアジア人らしくもあるがアジアの姿の崩壊のようにもみえる。
 
歴史を唯一の教訓とするならば、孫文の唱えた西洋覇道と東洋王道を問い直すまでもなく、地域、伝統、あるいは大局的にも世界的位置を再考する機会が、振り返ればそこにあるということを教えてくれる。つまりアジアのパートナーはつねにアジアを念頭に置かなければならないと教えてくれる。
 
現状からみれば、その機会をとらえ、メッセージとして発言できるのは大国の趣を増した中国であり、悠久の歴史を刻む民族の知恵であろう。加えて、それを補うのは台湾であり日本であり、世界の中でのアジアの存在意義を自覚した民衆でもあろう。

 天安門広場に集まる若者の背景に孫文がいた。台湾(中華民国)もしかり、政体を違えた両国の国父は孫文であり政権政党にも侵すことのできない偉大な存在であり、ときには苦慮する民衆の秘奥の光明でもある。

 異民族ではあるが、我が国もアジアの熱狂と衰退の予兆を、孫文の志操から透視する人々が存在する。それは、真の日本人の姿を普遍なアジアの眼で認めた孫文が、命懸けで革命に挺身した志と遺訓が、いまでも日本の各地に息づいていることも事実である。

 アジア人がアジアを知り、全アジアを視野にいれた安寧を願うとき、先人の遺したアジア人としての矜持を顧みて懐かしく思うことだろう。そんなとき片隅の継承ではあるが、孫文が唱え、希求したアジアの「大同」が、各国固有の民衆が、共通のアジア民族として再興するであろうことを、おせっかいながら筆者の推究と目標の意として記したものです。
 

# by Ttakarada | 2007-11-24 10:06

 

革命余話


 孫文は革命のさなか、日本滞在を懐かしむように四季がおりなす風情と、それに感応する日本人の人情について山田と語らっている。
 潜伏先の海妻邸から眺める頭山邸の桜や、車窓から見た富士山、山々のみどりや渓流のせせらぎや澄み切った清流が、確信はしているが時折気弱にもなる亡命生活を余儀なくされていた孫文にとって、日本朝野の有志の純情とあいまって忘れることができない情景でもあった。
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 亡命も含め、革命遅滞の遠因ともなった一部の功利的日本人や、終始孫文を侮り続けた日本政府の姿ではあるが、アジア諸民族から光明とおもわれたあのときの真の日本人への回顧と、その精神を培った四季の風情に思いをおこし山田に再三語りかけている。
         
 山田兄弟の育った津軽の環境や、年老いた両親のこと、良政の妻敏子の生活についても孫文は尋ねている。兄を亡くした純三郎の心情を思いはかった孫文らしい優しさではあるが、自分と同様なおもいで日本を憂慮し、それでも日本および日本人に賭けたアジアの将来計画が捨て切れなかった山田との共感する吐息でもあった。
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 山田は郷里弘前の雪と桜を話題によく話している。 とくに岩木山から眺める県境の山々、弘前城の桜の宴、友と明かしたねぷた祭りのことなど、孫文は満開の桜の宴から眺める岩木山の冠雪は津軽の誇る絶景だということを知っている。

 革命成就の暁には、城内や山田家の菩提寺貞昌寺の桜の巨木に包まれ、兄良政を懐かしんでの酒宴を思いを馳せた孫文と純三郎であった。弘前訪問は叶わぬ旅ではあったが孫文は山田の父、浩蔵翁に「若我父」(我が父の若し)との心情を込めて呈上している。浩蔵翁はつねにその額の下で毅然と端座していた。

 アジアの憂慮と隣国の危機を我がことのように挺身した精神は、陸羯南が喝破した名山の純白な雪と桜花に育まれた弘前で培われアジアに開花した。
 そして、あの毛沢東、蒋介石会談の直前挫折の際に佐藤に言を含めた
 
「孫さんは、革命は九十九回失敗しても最後に成功すればいいと言っている。民族の融和とアジアの将来を賭けた大事業は、いずれ志を継いだ人間の意志に任せるしかない。そのうち孫さんのように国家民族に囚われないアジアの大経綸を唱える人間が現れるはずだ。慎ちゃん(佐藤)それは日本人かもしれない。いや明治維新を成し遂げたとき西欧列強の価値観に蹂躙されていた全アジア民族の光明であったあの日本人の姿が 再度、よみがえるならその資格はある。孫さんがいつも言っていた。日本人が真の日本人に立ち戻ってアジア民族のために協力するならアジア民族はこぞって歓迎する。慎ちゃん僕はもう年だ。世界に通用する立派な日本人を育ててくれ」

 佐藤は伯父山田の意志と孫文が「その志、東方に嗣ぐものあらんことを」と良政の頌徳碑(左=孫文直筆の頌徳文)に結んだ言葉を、今、アジアに歓迎される日本人像として継ごうとしている。孫文の意志が継承され、日本と支那が提携しアジア民族の安寧と世界の平和を希求したとき、覇道を抱く勢力ですら妨害を許さない地域民族の連帯が興っただろう。

 いや、アジア全体がその革命意志を保全の心として侵入を許さないだろう。
 佐藤は今でも思い描いていることがある。それは桜の下、再来孫文を囲んで若者達とアジアの将来を語り合うような桜花舞うアジアの春の招来である。

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# by Ttakarada | 2007-11-23 09:25

 

干天の慈雨


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世の中を見つめて自分が適応しないことを苦悩するより、自分の独自の意志である秘奥の精神に自身の行動を革命を通じて問いつづけ、ついには民族の潤いとしてその意志を貫徹した孫文は支那人にとってどのように映ったのだろうか。また、どのように息づいているのだろうか。

 政治権力に在る者は"汚れなき看板"として民衆の共通の顔を孫文に求めるだろう。民衆はその意図を計りながらも心中の“あこがれ”として存在している。

 それは、ときとして意図は違いながらも、共通の存在として浮上するときがある。まさに共通の地域的宿命が孫文を必要としたときがそれだ。

 政治権力が衰退したときにおきる民衆不安定の鎮まりとして、あるいは国父と掲げる政体の違う力が融和を試みるとき孫文は来復する。

 あるいは、その結果強大な勢力が出現したとき、近隣諸国の中に孫文とのかかわりが保全として活かされるだろう。

 ともあれ孫文の存在は歴史の事績が表すとおり、調整、融合、意志、保全として、その存在が浮上しておのおのの場面で活かされるだろう。そこからその当事者となるものは孫文の遺した志操を改めて理解し、その安定のための"死せる援助者"として繰り返し語られることだろう。

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 疲弊、復興、繁栄、衰退、混迷。まさに民衆の生きざまのように国家も循環する。老子の言葉を寸借すれば、天地の摂理は循環を理として自ら動くと説いている。

今のアジアの情勢を推察したとき孫文的人物の出現の渇望や、“死せる孫文”の活用は、そう遠い将来のことではなく、その予兆は徐々に湧きだしている。

 孫文再来を請う微風は、やがて六方の風となり、そして潤いとなってアジアに降り注ぐだろう。山田良政の頌徳文の末尾に孫文はこのように結んでいる。
 
「その心、東方に嗣ぐものあらんことを」
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# by Ttakarada | 2007-11-21 08:36

 

亜細亜の大経綸

 
 孔子が老子を訪ねたときのこと、孔子を一目みて老子はこう直言した。
(史記 老子伝)「子の嬌気と多欲、態色と淫志を去れ。これ皆子の身に益なし」  

二十数年の間、支那民衆のなかに生き、その体感をとおして一つの感慨を得た佐藤慎一郎は興に乗るとこんなおもしろい話をすることがある。

 「だいたい孔子は女房は替えるし、始終、おカマばかり掘っていて、仁を説きながら陰茎を切って宮中に応募する宦官や、纏足を強制して性の享楽を得るような制度や慣習に一つも意義を唱えないではないか。民衆は生きるために知恵がある。“孔子様か、あれはハナシ”とあざけ笑っている。
 “子曰く、朋遠方より来る。また楽しからず”といっているが、久しぶりに遠くからの友は、いい話か、なにか持って来てくれるから楽しいんだ。これが庶民流の解釈だ。だが、そんな孔子だからこそ民衆にとっては永遠の友なのだ」
 


科挙制度における登用試験の題目は孔子、孟子である。
 その孔子、孟子を一生懸命に暗記した者が合格し、晴れて役人になるわけだが、それ以上に賄賂学に熱中したのでは民衆の孔子、孟子の価値はあざけ笑う面従腹背の活用学でしかない。 『一官九族に栄える』といって、親族の中で一人でも役人に登用され地位が昇るたびに財を発生し、一族だけでなく親族みんなが恩恵に預かるといった俗諺がある。


 そのほかに『昇官発財』(官に昇って財を発す)とか『八字児衛門、朝南開、有理無理○銭来』(役所は南に向かって開いている。理屈があろうが無かろうが銭(税金、賄賂)をもって来い)とか、たまに真面目な役人がいても『三年清知府、十萬雪花銀』三年すれば銀(当時の貨幣)が沢山蓄積されるという。


 このようなことだから孔子、孟子を説く儒学者は『九儒十丐』といって職分の位からいえば下から乞食、儒学者の順でさげすまれている。
 毛沢東も臭九老といって同様に毛嫌いしている。しかし、たとえ「説」であろうと人のために活学し、体現する人間には徹底した人情を添えて献身するのも同じ民衆である。


 生きざまは老子の説く『天下循環思想』に基づいた陰陽、つまり天地自然のなかで自由に浮遊し、水の性質そのものを生活観として『上善如水』(最善の生き方は水のように生きることを自得し、硬くなく柔軟に生きる術を生まれながらもっています。

 『直にして礼なくば、則、絞ず』という言葉どうり、真っすぐな意識だけでは、いずれ自らを絞めるようになると、あえて自らを覆い隠し「嘘」(避けるための知恵、おとしめる嘘とは異なる)によって演技(戯れる)をする順応性が育ったのです。


 満州の高官、張景恵は日本軍人の印象として
 「どうも四角四面で融通が利かない。二、三度戦争に負ければよくなるだろう」と、張なりの愛着と比喩をこめてつぶやいている。


 佐藤は「この民族は決して滅びることはない。人間の持つ欲望である「色」「食」「財」に素直に生きている。しかもいつもは奥底にしまってある「人情」の厚みは他の民族に類を見ない素晴らしいものだ」と理解の根底を述べている。


 それは、他の偽政者とは違う部分で、つねに孫文の存在があるということでもある。現に共産党や国民党の歴代指導者でさえ孫文の存在を無視することはできない。それは漢民族のみならず民衆の希望としてだけではなく、政治体制を問わず権力の混迷し突き当たるところに孫文の存在を認めるからに外ならない。


 現代における専制権力でさえ孫文の存在を温存し、いずれ死せる孫文を蘇生させなければならないことを理解している。それは中国民族だけではない。革命に挺身した我が国の有志を待つまでもなく、あの欧米列強に蹂躙されてアジアに、遠大な志操をもって唱え、立ち向かった孫文の姿は、再度、覚醒の意をもって来復するだろう。


 現に、金融による国際支配を目指す勢力が、だれにでも陥る財という向精神性を刺激し、持てるものが持たざるものの統一を企てているように思われるなかで、便利さの中の合理性と非合理の中の理として対立せざるを得ない状況が起こっている。
 まさに形を変えたアヘン戦争の様相である。
 急激で、しかも一過性ともおもわれる虚構の繁栄は国家のバロメーターさえ変えようとしている。

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秋から冬へ

欲望のコントロール


 歴史のひとコマから見れば支配から解放され百年。 一喜一憂するまでもなく、しかも歴史の検証もすんでない現在、大局的な目で独りよがりではないアジアの優性を確認する間もなく、新たな混迷を招く醜態は、民衆の中にある程よい欲望の消化という優性を、欲望の権化として変化、助長させることでもある。

 突然の衰運を招く以前、マレーシアの首相マハティールは国会で涙ながらに腐敗の根絶を訴えている。中華人民共和国では役人の腐敗を訴え「官倒」と称して天安門に散った若者の記憶は新しい。

 日本では「巨悪」と称される者の横行が言われて久しい。「巨悪」はいずれも国費で賄う国立大学出身者で、捕まえる検察も同窓というのでは、子供のお遊びにも劣る醜態である。台湾も黒社会の横行に手を焼いている。これでは列強の侵略前夜の清朝や、アジアの政治状況となんら変わりはない。


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 どの国にもほどよい慣習や掟はあっただろう。 また、それがささやかな民衆の潤いとして必要悪の存在を認めただろう。ある意味ではそれぞれの「分」に存在するであろうその陋 規は、制度化された社会の一方の潤いとして役立つものがあるだろう。

 融通無碍な体質は「剛」であり「直」であり、ついには自らを絞めることにもなる。支那では柔らかいものは滅びずという。まさに骨は折れ、剛直な筋肉は衰える。だが、舌は衰えることはない。重宝に使えば身を助けるという。

 食、色、財の欲望も、民族の文化、文明の織りなす経糸、緯糸のようなものだ。また経緯が交じるところ摩擦が起きる、人間界でいえば戦争である。それを避けるために清規(法)があり陋規(掟)があり、それぞれが表裏一体を成して、ほどよい調和を導きだし、どうにか社会生活を営んでいるのである。

 つまり、その大前提として自らの「分」と他の存在がなければ、すべて意味のないことであり「無」でしかない。その意味で、孫文は自他の厳存を「無」ではなく「有」として認め、すべての関わりのなかでこそ自らの存在の意義を見いだせることだと、支那一国にとらわれない多面的考察、革命後のアジア諸民族の自立という根本的考察、アジアと西欧との関わりにおける将来的考察などを自らが先導する支那革命のなかで実践したのです。

 アジアの難は自国の憂慮であると、地域共生の理想を掲げ、民衆を激励喚起した哲人孫文を思うとき、再度、孫文の再来を願うのは筆者だけではあるまい。

 歴史の検証にいそしみ、現実の利害に立ち止まっていては描くべき将来はない。いずれ渇望せざるを得ないアジア民族にとって、普遍な人物像である懐かしむべき孫文にあえて請う、孫文的人物の再来を、アジアの民衆はこぞって付き従うであろう。

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# by Ttakarada | 2007-11-20 11:48