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干天の慈雨


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世の中を見つめて自分が適応しないことを苦悩するより、自分の独自の意志である秘奥の精神に自身の行動を革命を通じて問いつづけ、ついには民族の潤いとしてその意志を貫徹した孫文は支那人にとってどのように映ったのだろうか。また、どのように息づいているのだろうか。

 政治権力に在る者は"汚れなき看板"として民衆の共通の顔を孫文に求めるだろう。民衆はその意図を計りながらも心中の“あこがれ”として存在している。

 それは、ときとして意図は違いながらも、共通の存在として浮上するときがある。まさに共通の地域的宿命が孫文を必要としたときがそれだ。

 政治権力が衰退したときにおきる民衆不安定の鎮まりとして、あるいは国父と掲げる政体の違う力が融和を試みるとき孫文は来復する。

 あるいは、その結果強大な勢力が出現したとき、近隣諸国の中に孫文とのかかわりが保全として活かされるだろう。

 ともあれ孫文の存在は歴史の事績が表すとおり、調整、融合、意志、保全として、その存在が浮上しておのおのの場面で活かされるだろう。そこからその当事者となるものは孫文の遺した志操を改めて理解し、その安定のための"死せる援助者"として繰り返し語られることだろう。

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 疲弊、復興、繁栄、衰退、混迷。まさに民衆の生きざまのように国家も循環する。老子の言葉を寸借すれば、天地の摂理は循環を理として自ら動くと説いている。

今のアジアの情勢を推察したとき孫文的人物の出現の渇望や、“死せる孫文”の活用は、そう遠い将来のことではなく、その予兆は徐々に湧きだしている。

 孫文再来を請う微風は、やがて六方の風となり、そして潤いとなってアジアに降り注ぐだろう。山田良政の頌徳文の末尾に孫文はこのように結んでいる。
 
「その心、東方に嗣ぐものあらんことを」
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by Ttakarada | 2007-11-21 08:36  

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