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革命余話


 孫文は革命のさなか、日本滞在を懐かしむように四季がおりなす風情と、それに感応する日本人の人情について山田と語らっている。
 潜伏先の海妻邸から眺める頭山邸の桜や、車窓から見た富士山、山々のみどりや渓流のせせらぎや澄み切った清流が、確信はしているが時折気弱にもなる亡命生活を余儀なくされていた孫文にとって、日本朝野の有志の純情とあいまって忘れることができない情景でもあった。
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 亡命も含め、革命遅滞の遠因ともなった一部の功利的日本人や、終始孫文を侮り続けた日本政府の姿ではあるが、アジア諸民族から光明とおもわれたあのときの真の日本人への回顧と、その精神を培った四季の風情に思いをおこし山田に再三語りかけている。
         
 山田兄弟の育った津軽の環境や、年老いた両親のこと、良政の妻敏子の生活についても孫文は尋ねている。兄を亡くした純三郎の心情を思いはかった孫文らしい優しさではあるが、自分と同様なおもいで日本を憂慮し、それでも日本および日本人に賭けたアジアの将来計画が捨て切れなかった山田との共感する吐息でもあった。
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 山田は郷里弘前の雪と桜を話題によく話している。 とくに岩木山から眺める県境の山々、弘前城の桜の宴、友と明かしたねぷた祭りのことなど、孫文は満開の桜の宴から眺める岩木山の冠雪は津軽の誇る絶景だということを知っている。

 革命成就の暁には、城内や山田家の菩提寺貞昌寺の桜の巨木に包まれ、兄良政を懐かしんでの酒宴を思いを馳せた孫文と純三郎であった。弘前訪問は叶わぬ旅ではあったが孫文は山田の父、浩蔵翁に「若我父」(我が父の若し)との心情を込めて呈上している。浩蔵翁はつねにその額の下で毅然と端座していた。

 アジアの憂慮と隣国の危機を我がことのように挺身した精神は、陸羯南が喝破した名山の純白な雪と桜花に育まれた弘前で培われアジアに開花した。
 そして、あの毛沢東、蒋介石会談の直前挫折の際に佐藤に言を含めた
 
「孫さんは、革命は九十九回失敗しても最後に成功すればいいと言っている。民族の融和とアジアの将来を賭けた大事業は、いずれ志を継いだ人間の意志に任せるしかない。そのうち孫さんのように国家民族に囚われないアジアの大経綸を唱える人間が現れるはずだ。慎ちゃん(佐藤)それは日本人かもしれない。いや明治維新を成し遂げたとき西欧列強の価値観に蹂躙されていた全アジア民族の光明であったあの日本人の姿が 再度、よみがえるならその資格はある。孫さんがいつも言っていた。日本人が真の日本人に立ち戻ってアジア民族のために協力するならアジア民族はこぞって歓迎する。慎ちゃん僕はもう年だ。世界に通用する立派な日本人を育ててくれ」

 佐藤は伯父山田の意志と孫文が「その志、東方に嗣ぐものあらんことを」と良政の頌徳碑(左=孫文直筆の頌徳文)に結んだ言葉を、今、アジアに歓迎される日本人像として継ごうとしている。孫文の意志が継承され、日本と支那が提携しアジア民族の安寧と世界の平和を希求したとき、覇道を抱く勢力ですら妨害を許さない地域民族の連帯が興っただろう。

 いや、アジア全体がその革命意志を保全の心として侵入を許さないだろう。
 佐藤は今でも思い描いていることがある。それは桜の下、再来孫文を囲んで若者達とアジアの将来を語り合うような桜花舞うアジアの春の招来である。

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by Ttakarada | 2007-11-23 09:25  

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