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    <title>請孫文再来</title>
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    <description>中国近代化の魁となった辛亥革命は孫文とともに明治の日本人の姿が語るべき残影として多く遺されている。なぜ彼らは異国の革命に挺身したのか。それは深層のアジアを貫く座標の灯火として認めたに他ならないからだ。</description>
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    <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
    <dc:rights>2010</dc:rights>
    <pubDate>Mon, 29 Nov 2010 12:24:04 +0900</pubDate>
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      <title>請孫文再来</title>
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      <description>中国近代化の魁となった辛亥革命は孫文とともに明治の日本人の姿が語るべき残影として多く遺されている。なぜ彼らは異国の革命に挺身したのか。それは深層のアジアを貫く座標の灯火として認めたに他ならないからだ。</description>
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      <title>秘録　孫文から犬養に宛てた手紙</title>
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      <description><![CDATA[大同」を求めて
（日本外交への啓示）

原文訳．佐藤慎一郎先生　６３．４．２１　寄稿　
構成　郷学研修会

孫文から犬養毅に宛てた手紙
(大正１２年、この手紙は、山田純三郎が、犬養家へ持参したもの)

山田はこの原文写しを佐藤に託すときこう言っている

『私が孫さんを訪ねて犬養さんが入閣したことを知らせた。亡命中には頭山さんや犬養さんに援けられ、その無条件な援助にみた日...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 05 Feb 2008 22:32:18 +0900</pubDate>
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    <item>
      <title>あとがき</title>
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      <description><![CDATA[

「研究、分析は学者に聞け。作り話は小説家に任せ、今、残すべきことは関係者の体験をたずねて可能な限り継承することだ。しかも孫文にかかわった日本人は少なくなっている。皆、年をとったため体験した年月は明確ではないかも知れない。しかし、年寄りの思い出話というものは功利的な世の中では真剣に聞く人もなければ、感動と感激を得る根本価値も今はない」 


「神棚の御本尊ではないが普段は必要のな...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 24 Nov 2007 10:06:38 +0900</pubDate>
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    </item>
    <item>
      <title>革命余話 </title>
      <link>http://sunasia.exblog.jp/7512359/</link>
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      <description><![CDATA[
　孫文は革命のさなか、日本滞在を懐かしむように四季がおりなす風情と、それに感応する日本人の人情について山田と語らっている。 
　潜伏先の海妻邸から眺める頭山邸の桜や、車窓から見た富士山、山々のみどりや渓流のせせらぎや澄み切った清流が、確信はしているが時折気弱にもなる亡命生活を余儀なくされていた孫文にとって、日本朝野の有志の純情とあいまって忘れることができない情景でもあった。 

　...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 23 Nov 2007 09:25:00 +0900</pubDate>
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    </item>
    <item>
      <title>干天の慈雨</title>
      <link>http://sunasia.exblog.jp/7493191/</link>
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      <description><![CDATA[
　


世の中を見つめて自分が適応しないことを苦悩するより、自分の独自の意志である秘奥の精神に自身の行動を革命を通じて問いつづけ、ついには民族の潤いとしてその意志を貫徹した孫文は支那人にとってどのように映ったのだろうか。また、どのように息づいているのだろうか。 

　政治権力に在る者は"汚れなき看板"として民衆の共通の顔を孫文に求めるだろう。民衆はその意図を計りながらも心中の“...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 21 Nov 2007 08:36:03 +0900</pubDate>
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    </item>
    <item>
      <title>亜細亜の大経綸</title>
      <link>http://sunasia.exblog.jp/7484395/</link>
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      <description><![CDATA[　
　孔子が老子を訪ねたときのこと、孔子を一目みて老子はこう直言した。
（史記　老子伝）「子の嬌気と多欲、態色と淫志を去れ。これ皆子の身に益なし」 　

 二十数年の間、支那民衆のなかに生き、その体感をとおして一つの感慨を得た佐藤慎一郎は興に乗るとこんなおもしろい話をすることがある。 

　「だいたい孔子は女房は替えるし、始終、おカマばかり掘っていて、仁を説きながら陰茎を切って宮...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 20 Nov 2007 11:48:59 +0900</pubDate>
      <dc:date>2007-11-20T11:48:59+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>日本人はどこに</title>
      <link>http://sunasia.exblog.jp/7467835/</link>
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      <description><![CDATA[　日本人はどこに



　山田純三郎はことごとく曲解され，命まで狙われた純三郎の心には、そんな肉体的衝撃の危機にも増して，孫文に付き従い恵州で捕らえられ「日本人」だと告げれば死を免れたが、あくまで「支那人だ」と言い張り斬首された兄，良政の意志を、孫文に共鳴する独りの日本人の志操というだけではなく、独立した真の日本人としての矜持をもってアジアの将来に献じたものだと映っている。 
　...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 18 Nov 2007 15:08:25 +0900</pubDate>
      <dc:date>2007-11-18T15:08:25+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>　弘前と孫文</title>
      <link>http://sunasia.exblog.jp/7456818/</link>
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      <description><![CDATA[ 
 

　青森県弘前市は山田良政、純三郎兄弟の生地である。明治の言論人、陸羯南が喝破した「名山のもとに名士あり」と謳われた追木山（岩木山）が四季折々に姿を変え、仰ぎ見るものに愛着と、言うに言われぬ心の鎮まりを与えてくれる。 
 
　戊辰の戦火を避け、いまも残る津軽藩の居城であった弘前城は、城郭を中心に公園として整えられ日本有数の桜の名所として季節の時をにぎわしている。桜枝の隙間か...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 17 Nov 2007 09:47:38 +0900</pubDate>
      <dc:date>2007-11-17T09:47:38+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>孫文は山田に革命後継の人物を聴いた</title>
      <link>http://sunasia.exblog.jp/15532143/</link>
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      <description><![CDATA[  

孫文は側近の山田純三郎に後継総統について尋ねている
「山田さん、次の総統について聞かせて欲しい」

山田は孫文の問にこう応えた
「蒋介石君が適任かと・・・」

佐藤慎一郎は津軽での講演会で「孫文さんが山田さんに次の後継者は誰がいいかと問われたとき、蒋介石を推薦した」と伯父の言葉を伝えている

充分考えられる言葉である。国民党の最高顧問であり、実行間際で終わったが、...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 29 Nov 2010 12:24:04 +0900</pubDate>
      <dc:date>2010-11-29T12:24:04+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>山田良政小伝</title>
      <link>http://sunasia.exblog.jp/7447787/</link>
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      <description><![CDATA[


《 アジアに生き、中国革命を吾がことの様に挺身した日本人》

 中国民族から国父と尊崇されている孫文が､その自序伝の中で､
｢中国革命に尽くして終生怠らざりし者に､山田兄弟､宮崎兄弟､菊池､萱野がある｣と､はっきりと書き残している｡
 その山田兄弟とは､山田良政･純三郎兄弟のことであり､菊池とは菊池良一のことである｡
 しかもこの三人は､ともにこの弘前出身の人たちである...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 16 Nov 2007 09:38:35 +0900</pubDate>
      <dc:date>2007-11-16T09:38:35+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title> 山田良政建碑紀念の碑(直訳)と孫文哀悼の文</title>
      <link>http://sunasia.exblog.jp/7428620/</link>
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      <description><![CDATA[
その志，東に於いて嗣ぐものあらんことを



孫文の山田良政を悼む追悼原文



弘前　山田家墓基

 君の兄弟は､ともにふるって嘗って力を中国の革命事業に致す｡しかるに君は庚子(1900年､明治33年)｡恵州の役を以て死す｡後十年にして､満州政府は覆える｡
 初め余は乙未(1895年明治28年)､粤(広東省)を図りたるも威らざるを以て海外に走る｡(孫文は､11月1...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 14 Nov 2007 09:37:00 +0900</pubDate>
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    </item>
    <item>
      <title>後藤新平の胆力</title>
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      <description><![CDATA[　
　山田良政は伯父、菊地九郎との縁を唯一の頼りに台湾民生長官であった後藤新平を訪ねた。孫文と山田は初対面にもかかわらず、こう切り出した。 
「武器とお金を用立てて欲しい」 
　革命事情と人物の至誠を察知した後藤はとやかく言わなかった。 
「借款というのは信用ある国と国が何なにを抵当としたうえで幾ら借りて、利子は幾らで何年で返すということだろう。きみたち青年の志すところは正しく、意気...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 12 Nov 2007 11:54:48 +0900</pubDate>
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      <title>満州と孫文</title>
      <link>http://sunasia.exblog.jp/7402840/</link>
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      <description><![CDATA[
後藤新平に観た孫文の日本人観　

　山田純三郎の兄、良政は 
「男子事を謀る。中道にして廃すべからず。まさに最後の一戦 を演じて止むべし」と語って慨然として職を投げ棄て福建省の彰州に向かっている。 
　

上海から弟、純三郎に宛てた手紙にあるように自らを鼓舞し、アジア復興のために中国革命に靖献した良政は、自らが革命の運命を導き、自らを一番理解する孫文のために命を賭けて行動すれ...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 11 Nov 2007 19:56:01 +0900</pubDate>
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    </item>
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      <title>老　朋　友　</title>
      <link>http://sunasia.exblog.jp/7390608/</link>
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      <description><![CDATA[
◆桂太郎との会談 
　
山田は自身の臨場体験を踏まえ、孫文と日本人の交流を語っている。 
　このことは山田の甥、佐藤慎一郎が山田から直接聞いた事がらを「孫文をめぐる日中秘話」に著しているので参考としたい。 

　臨時大総統を辞任した孫文は「全国鉄道計画全権」という名義で１９１３年２月１０日、上海をたち日本に向かいました。随行者は戴天仇、馬君武ら５名の中国人と山田純三郎たちでした...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 10 Nov 2007 14:07:35 +0900</pubDate>
      <dc:date>2007-11-10T14:07:35+09:00</dc:date>
    </item>
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      <title>山田純三郎</title>
      <link>http://sunasia.exblog.jp/7379960/</link>
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      <description><![CDATA[山田純三郎

　疎んじられても期待をせざるを得ない状況と、なお警鐘をこめて熱情を注ぐ孫文の心には、多くの日本人との人格を認めた交流があったことを山田は、兄・良政の言葉とともに述べている。 

「自分が孫さんの意志を頭でなく身体で理解し、ついて行けたのは上海から送られてきた兄の手紙だった。純コのバカと通称され、意気地なしの自分を激励し誉めてくれた九郎爺さんのお陰で、いくらか世の中に慣れ...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 09 Nov 2007 08:27:26 +0900</pubDate>
      <dc:date>2007-11-09T08:27:26+09:00</dc:date>
    </item>
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      <title>　期待と批判</title>
      <link>http://sunasia.exblog.jp/7354048/</link>
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      <description><![CDATA[
　◆孫文に生じた対日観の二重性 　 

　革命のさなか孫文は､幾度となく訪日し、永いときには２年数カ月にわたり滞在している。革命期間の三分の一を日本及び日本人とのかかわりの中で、期待と失望のときを費やしている。それは、ある意味で対日観の二重性を生じ、矛盾した言動とみられたこともある。 
　
 その間、財閥、政治家らの対支那利権に翻弄されたり、日本国内の政治状況に左右されたりしたこ...]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>Ttakarada</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 06 Nov 2007 12:27:37 +0900</pubDate>
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